不要不急の新聞

私が購読している新聞は、学校への一斉休校要請など、新型コロナウイルスの感染抑止が社会問題化した今月初めから、ページが減った。新聞社の説明を総合すると、「感染拡大防止の要請を受け、各地でイベントが中止、延期となっており、紙面を埋めるニュースコンテンツがない」ことが、その理由のようだ。

センバツ高校野球を例に引くまでもなく、各地で開催されるイベントは確かに少なくなっている。しかし、そのために「紙面に載せるニュースがない」と言い切ってしまう新聞社に、私は驚いてしまう。

ニュースは未知の新型コロナウイルスであり、「どにかく、やった感」の演出=パフォーマンスの色が濃い一斉休校措置に振り回される全国の子どもとその家族の憤りであり、高齢者や基礎疾患を持つ人の不安であり、収入や客を突如奪われた人々の苦悩であり、…。マスメディアが今こそ伝えねばならないニュースは、あふれこそすれ、減ってなどいないはずではないか。

人々が知りたがっている世の中の出来事を調べ、分かりやすく伝える仕組みとして、新聞がきちんと機能できなくなった、ということなのかもしれない。地域のイベントをただ「ありました」と伝えることはできる。でも、それらがなくなってしまえば、途端に「品揃えが出来ません」と言い出す商売のようだから。

コロナの感染拡大を防ぐために〈新聞記者も出社の人数を減らす→新聞社として毎日の新聞の紙面を減らす〉というのならば、評価できるし、歓迎したい。しかし、少なくとも私が購読している新聞の今回の紙面削減は、どうもそういった理由からではない。先述の通り「紙面を埋めるニュースがない」というのがその理由なのだ。だとすれば--。

私が購読している新聞は、自らが「不要不急」の存在であることを、図らずも証明した、のだろう(事務員)

>>> おおいけ法律事務所(弁護士﨑山有紀子)/福岡市南区

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